「体験距離」と「体験強度」 子どもに体験させて良いものと悪いもの

「体験距離」と「体験強度」 子どもに体験させて良いものと悪いもの

先日のブログ(子どもを刺激から守ること │ 聖学院大学 大橋良枝の研究室 (ohashi-lab.com))で、良かれと思って見せたのに、ということについて書きました。

情報が溢れる今の時代、テレビひとつとっても、子どもに何を見せたらよいのか悪いのか、ゲームを与えてよいのか、You Tubeはどうなのか・・いろいろ悩みますよね。

大人が、これは、心の栄養になるだろうと思って見せたり、これくらいならまあ、子どもも大丈夫だろうと思って見せたり・・。悩んだ末に見せたとしても、大人と子どもでは心の構造がちょっと違うから、判断を誤るということが、一応私のように心理学を専門としている者でもあるわけで・・なかなか難しいなあと思います。

 

私たちは、これなら見せて良いだろう、と判断するときに、何をもって判断するでしょう。おそらく、コンテンツ、つまり内容だと思います。

内容が暴力的だからダメ。内容が友情もので感動的だからよい。

もちろん、そのような内容から判断するということはあり得ると思うのですが、もう一つ子どもの場合考えてあげないといけないのは、「体験距離」と「体験強度」(安永浩 1987)かと思います。

まず体験強度から離すと、その体験の強烈さです。先日の私の子どものドラえもん体験は、その内容が良いものだったとしても、強烈すぎたのです。心が強く揺さぶられ続けてしまったのです。お酒もそうですし、トレーニングもそうでしょうけれども、人には耐えられる刺激量の上限があるのです。また、「体験距離」ということで言えば、そのような強い刺激であれば距離をとればよいのですが、中毒性なのか、親がそこから離れる手伝いをしてやらなかったからなのかわかりませんが、子どもはその刺激から距離をとることができませんでした。そのため、大変な精神を圧倒される体験になってしまったということだと思います。

 

意外と、このような不適切な体験距離と体験強度の場に子どもを置いてしまうことが知らず知らずのうちにある気がします。気を付けたいものです。

 

安永浩 1987 精神の幾何学 岩波書店

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