トイレ・トレーニング①

トイレ・トレーニング①

最近気づいたのですが、特別支援の場で臨床心理学的な働きをはじめて、もう9年も経つらしいのです。

そんな決して短くない月日の中で、一番精神分析的発達理論が役に立ったと思うのが、トイレ・トレーニングと心理的成長の関係なんですね。特に思春期前までの子どもたちに介入するときには大変役に立つ理論だと思っています。

単に技術的にトイレを使えるようになっているかという話ではなくて、トイレ・トレーニングを経て得られる心理学的な成長ができているか、というのが非常に重要なのです。

便利が良い、楽が良い、という価値観の下では、「必要な苦労」について語られることは流行らないかもしれませんが、

トイレ・トレーニングにおける、養育者と子ども双方の苦労については、重要性を伝えるべき苦労だなと確信しております。

 

トイレ・トレーニングを、精神分析的に考えると、それは、初めて社会のルールに自分を合わせる努力をする機会と言っても良いかもしれません。

社会的価値観あるいはルールに則った決められた場所や使い方に従って、生理的欲求をコントロールするのです。排せつ欲求が生じたら、そこまで我慢して、決められた便器の中に出す。便器もきれいに使う、排せつした体をきれいにする、手も洗う。加えていくつかルールがありますよね。

おむつに慣れ親しんだ子どもからすれば、そのルールの意味は分からないわけです。あるいは、清潔の価値についてもわかっていないでしょう。けれども、その価値の分からないものに従わなければいけない。

子どもは何故、その訳の分からないルールに従うのか?それは、大好きな大人(親)を喜ばせたい、あるいは、大好きな大人(親)との間にある絆(bond)に支えられているのです。あるいは、自立心の芽生え始めた子どもにとっては、褒められたり、成長を喜んでくれている大人を見ると、自分が成長したのを感じられて嬉しいということもあるでしょうか。つまり、大人との絆が子どもにとって困難であろう忍耐を支えるのです。

Tyson夫婦という精神分析的発達理論では有名な方がいらっしゃるのですが、その方たちがまとめた精神発達理論の本の中に、トイレ・トレーニングに臨む親の忍耐について丁寧に書かれていました。トイレ・トレーニングにつき合うというのは、なんとも言えない怒り、子どもをコントロールしたいという自分の衝動といった、今まで知らなかった自分の内にある自分の認めがたい部分に出会う局面に遭遇する機会でもあります。それに耐えるのもまた、子どもに対する愛情や絆、あるいは夫を中心とした家族に支えられています。

このプロセスに成功した大人と子どもは、両者が成長します。大人は窮屈なべき論からより自由になれるかもしれません。子どもが成長に向かって忍耐強く努力している姿を見て、子どもへの信頼感が高まるかもしれません。

子どもは、自分をコントロールする喜びを知ります。即時的な衝動を満たしたいという気持ちに打ち勝つ、我慢してより大きな満足を得るという力を学習します。

さて、それに失敗すると?

 

それについては、②に・・

【to be continued】

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