Negative Capabilityと安心

Negative Capabilityと安心

いよいよ、夏がやってきますね。

先日ある講演で、私たちは今直線的な時間、つまり過去と未来に挟まれ、1つの方向に進んでいく時間の中で生きているけれど、この近代的な時間感覚の前に生きていた人たちは循環的な時間に生きていたという話を聞きました。近代的時間以前の人たちは、日が昇って落ちる、春夏秋冬が巡るとまた春がやってくる、という、繰り返される終わらない自然の営みの中で時間を感じていただろう。だとすれば、ずいぶん私たちの生きる感覚は変わっただろう。

Negative Capabilityと安心について書こうと思ったのは、まったく違う文脈からではありますが、そのことをふと思ったのでした。

 

Negative Capabilityとは、詩人のキーツの言及からきています。若くして亡くなった詩人ですね。キーツとNegative Capabilityの詳細については、帚木蓬生先生の本に詳しいので、ご関心ある方は是非ご覧ください。

Negative Capabilityとは何かというと、不確かさ、不思議さ、疑いの中に会って、早く事実や理由を掴もうとせずに、分からなさの中に耐え続ける力のことです。つまり、分からないという不快感に堪え続けて、誤った真実を信じてしまわない腹の力ということですね。

私たち人間は、分からないことに耐えられない性質を持っていますから、答えがないと不安になります。けれど、焦って見つける答えは、たいてい片手落ちだったり誤りだったりします。あるいは、自己保身や怠惰の産物として、その誤った答えを信じようとし続けることもあります。

 

さて、今日関わったあるお母さんは、とんでもなく困難な状況にありました。Negative Capabilityなんて言葉は、ふざけるな!そんなのは、余裕があるやつの言葉だ!と感じるだろうなと、そのお母さんのことを思いながら考えました。あるいは、お母さんだけでなく、今日出会った先生もでした。何かに思い巡らす時間空間をという言葉はトンチンカンに響くだろうと思われる、しんどさの中にいらっしゃいました。

私自身、そんなことを思ってしまうことは、実はたくさんあります。Negative Capabilityが大事であることは揺らぎないけれど、Negative Capabilityは大事だ、意味がある、と、感銘を受けたり、腑に落ちる感じを持つには、ある種の余裕が必要と思います。

このブログでも何度か出てきているBionは、Keatsの言及を受けて、Negative Capabilityに必要な要件として、忍耐と安心を挙げました。忍耐はわかりやすいですよね。けれど、安心を挙げているのがBionの慧眼であると心から思います。

非常な困難な状況にある人にとってもまた、安心感が得られるとすれば、それは何によるのか。一つは、孤立感に苛まれないことであると考えていますが、もっともっと考えていきたいと思っています。

 

循環する時間は、私たちを抱えるゆりかごのようなイメージを持ちます。

私たちの命は終わりに向かっていくけれど、変わらずに続く大きな自然の中にいると思うと、それはおおらかな感覚を呼び起こしてくれるような気がします。あるいは、その感覚は私に何か教えてくれるでしょうか。

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